浅野拓磨の経歴・年俸やプレースタイルは?スピード自慢だが課題もあり?

サッカー

森保ジャパンでフォワードを務める浅野拓磨選手。

2021年5月には、セルビア1部との契約解除後、所属クラブを持たない中でも代表入りを果たしました。

そんな森保ジャパンになくてはならない浅野選手のプレースタイルとは。

浅野選手が抱える課題や年俸とあわせて調査しました。

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浅野拓磨のWiki風プロフィール

名前:浅野拓磨(あさのたくま)

生年月日:1994年11月10日

出身地:三重県菰野町

身長:173cm

体重:71kg

現所属チーム:VfL ボーフム 1848(ドイツ・ブンデスリーガ)

ポジション:FW

背番号:10

利き足:右足

浅野拓磨の生い立ち

浅野選手はサンフレッチェ広島からプロのキャリアをスタートさせたため、広島出身と思われがちです。

しかし、実際の出陳値は三重県菰野(こもの)町。

鈴鹿山脈の脇に位置し、登山家が多く訪れる場所です。

浅野選手はこの菰野町で、7人兄弟の3番目として生まれました。

上には二人のお兄さんがいます。

また、下には三人の弟さんと一人の妹さんがいます。

一番上のお兄さんと一番下の弟さんは10歳しか離れていないため、よく男兄弟6人でサッカーをしていたのこと。

幼いころから兄弟でサッカーをして育ったサッカー選手は多いですよね。

そんな中でも、ライバルである兄弟が大人数だった浅野選手は「上達してやる!」という気持ちがより強かったのだと思います。

浅野拓磨の家族物語。高校時代どうだったのか?がわかる

02:25 高校時にすでにサンフレッチェ広島に入団が内定していました!ベルマーレに入った田村翔太とツートップを組んでいました。

03:27~妹さんにとっても優しいお兄ちゃんなんでしょうね。

浅野拓磨の小学生時代

浅野選手が本格的にサッカーを始めたのは小学校1年生の時。

兄二人が所属していた隣の小学校の少年団に入団しました。

その後、指導者である清水コーチが同少年団のクラブ化をおこない、「ペルナSC」が発足。

浅野家の兄弟はみんなこのクラブでプレーをしていました。

当時、清水コーチは基礎的なテクニックを磨くことを徹底していました。

そのため、浅野選手もドリブルやリフティング、股抜きなどの練習をコツコツおこなっていました。

清水コーチは、当時の浅野選手が小柄だったため、より正確なテクニックを身につけてほしいと考えていたようです。

浅野拓磨の高校生時代

中学では地元の菰野町立八風中学校に入学した浅野選手。

高校時代は都市工学科。

その時のプレーは、高校サッカー界きっての名称、四日市中央工業高校の樋口士郎監督が惚れ込むほど。

しかし、浅野選手は家庭の経済的事情を考慮して、あまりお金のかからない高校への進学を考えていました。

結局、担任の先生やご両親の説得もあり、浅野選手は三重県のサッカー名門校である四日市中央工業高校に進学を果たしました。

四日市中央工業高校で、樋口監督は浅野選手をプロにさせようと熱心に指導していました。

浅野選手には自慢のスピードによる高い攻撃力があるにも関わらず、貪欲さがないと樋口監督は常に指摘。

最後まで失速しないでシュートするため、監督は浅野選手に自信を持つよう言い聞かせました。

そんな浅野選手は全国高校サッカー選手権で大活躍。

県大会を突破し、全国高校サッカー選手権には3年連続で出場しました。

2年生時の90回大会では、初戦から決勝までの全試合で得点を挙げ、大会得点王にもなりました。

その後、複数クラブからのオファーが届き、前年度J1リーグ王者のサンフレッチェ広島に入団しました。

浅野拓磨のプレースタイル

浅野選手の武器は、なんといっても「スピード」です。

ボールを持ってから、または持つ前に一気に駆け上がり、ディフェンダーの裏に抜けます。

そのままシュートを放ち、得点を決めるというプレーが多いですね。

浅野選手の足の速さには証拠があり、なんと50m走のタイムは5秒9。

そんな猛スピード出駆け上がられると、ディフェンダーもなかなかついていけません。

浅野拓磨が爆走スプリントで爆走したらこうなる

2:29~からのプレーでは、相手選手をスピードで圧倒し、完全に抜き去っていますね。

また、スピードだけでなく、加速時に相手選手からのコンタクトプレーがあっても、倒れずに走りきるという魅力もあります。

1:13~からのプレー、裏への抜けだし方はさすがですね。

このようにスピードが最大の武器である浅野選手に、サンフレッチェ広島サポーターがつけた異名が「ジャガー」。

それが理由で、浅野選手のゴール後パフォーマンスもジャガーポーズとなっています。

また、浅野選手のプレーを見ていると、そのテクニックの正確さにも目が行きます。

浅野拓磨の味方も唖然としてしまうドリブル

この動画を全体的に見ていると、ドリブルやトラップなど一つ一つの動作に無駄がありません。

細かい調整がなされ、相手がボールを取りづらい状況を作り出していると言えるでしょう。

これは、小学生時代のコーチが「テクニックの正確さ」を意識させていたことによる成果かもしれません。

浅野選手の課題

スピードでディフェンダーを圧倒する浅野選手。

今後日本代表で活躍していく上で、何が課題なのでしょうか。

浅野選手の課題は、昔から「決定力に欠けること」と言われています。

ルーキーだったサンフレッチェ広島時代にもファンから決定力に関して不安視されていました。

自慢のスピードでゴール前までボールを運ぶも、最後で迷いが生じ、味方選手にパスを出してしまうといったことが多々ありました。

浅野選手は、このことで当時サンフレッチェ広島のスターで得点王でもあった、FW佐藤寿人選手のプレーとよく比べられていました。

佐藤寿人選手がゴールを量産できていたのは、抜群のテクニックの他に、ゴールを決めきる決断力があったことが理由です。

佐藤選手自身は、この「決定力」をサッカーに対して研究に研究を重ねた結果得られた者だと述べています。

浅野選手よりも小柄な佐藤選手ですが、やはり人一倍の努力あってこその得点王だと納得ですね。

浅野選手も、サッカーのあらゆる局面を研究・経験することで、自信が生まれ、決定力向上につながるのではないでしょうか。

浅野拓磨の年俸

こちらが浅野選手の年俸推移です。

サンフレッチェ広島2013480万円
サンフレッチェ広島2014850万円
サンフレッチェ広島2015850万円
サンフレッチェ広島2016850万円
シュトゥットガルト2016-2017不明
シュトゥットガルト2017-2018約2億3000万円
ハノーファー2018-2019約1億1000万円
パルチザン2019-2020約7860万円
パルチザン2020-2021約7860万円

サンフレッチェ広島時代はルーキーだったので、年俸1000万円超えはなかったと推測されます。

その後、アーセナルに移籍するも労働許可が下りず、ドイツ二部のシュトゥットガルトに移籍した浅野選手。

ここで、年俸は850万円→2億3000万円

かなり増加しています。やっぱり海外、本場のヨーロッパですね!

「アーセナルから移籍してきた選手」として、高い評価を受けていたのでしょう。

実際、シュトゥットガルト1年目は多くの試合に出場し、ゴールも量産していました。

しかし、2年目はあまり良い結果を残すことができず、ハノーファーへのレンタル移籍が決まります。

そういった経緯で入団したためか、年俸は半分ほどに下がっていますね。

それにしても、1億1千万円!

そして、セルビアのパルチザンに移籍した浅野選手。

セルビアリーグの年俸は予想がつきませんでしたが、案外高額なんですね。

Jリーグの相場よりやや低いか同じくらいだと思います。

現在はブンデスリーガ1部のボーフムに所属していると言うことで、パルチザン時代よりは年俸が上がっていると予想されます。

まとめ

今回は浅野選手についてまとめてきました。

他の選手よりも優れたスピードとテクニックの正確さを兼ね備えた浅野選手。

これもフィジカルに頼らずとも勝てるよう、浅野選手が努力して手に入れてきたものなんですね。

まだまだ決定力に課題は残りますが、森保ジャパンに欠かせないことは事実です。

ワールドカップでは強豪国相手に暴れ回って、たくさんのジャガーポーズを見せてほしいですね。

2022年のさらなる活躍を応援しましょう!

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