原口元気のプレースタイル・素行問題とは?山田直輝との関係

サッカー

2021-22シーズン、ドイツ一部の1.FC.ウニオンベルリンに個人昇格した原口元気選手は、ここまでの試合全てに出場し中心選手として活躍、チームもドイツ一部で4位と好調をキープしています。

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2022年ワールドカップでの活躍も期待される原口元気選手について、まとめてみました。

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原口元気選手のWiki風プロフィール

名前:原口 元気(はらぐち げんき)
生年月日:1991年5月9日
身長:177cm
体重:68kg
ポジション:MF / FW

プロ入りまでのエピソード

サッカーファンであったお父さんが別格の才能と感じるほど、原口選手は幼少のころから明らかに他の選手とは違うレベルにあったそうです。

ただ、原口選手本人も「自分が誰よりも上手い自信があって、試合に負けることは納得しないし、負けたら仲間の責任にするような生意気な選手でした」と言っているように、小学生時代からサッカーの神童エピソードと共に・・やんちゃなエピソードも枚挙にいとまがありません。

まさし
まさし

やんちゃは生意気に見えるけど、大舞台で動じないなど魅力もあるね!

江南の鷹 と呼ばれた小学生時代

小学3年生では、後に全国でベスト4となる6年生メンバーと試合に出ていました。当時は先輩に対しても呼び捨てにしていたそうです。県大会の決勝で2ゴールをあげて勝利に貢献した後、全国大会のメンバーからは外された時には「僕の方が上手いのに」と納得せず、2時間の練習中ずっと泣き続けていたそうです。

勝利を強く求めるあまり、チームメートにも厳しい言葉をぶつけたりパスを出さなかったりすることもありました。6年生ではサッカーとフットサルの両方で全国優勝を成し遂げた彼はいつしか「江南の鷹」と呼ばれていましたが、これには気性の強さの意味も含まれているように思われます。

苛立ちの中学時代

小学生時代から名を広げた原口選手は、浦和レッズのジュニアユースにスカウトされて入団します。

ここでも彼は群を抜いてうまかったのですが、気持ちの強さや勝利への意欲も並外れており、ミスした味方に罵声を浴びせるなどの素行は治っていなかったようです。ここで仲間に見捨てられたり、周囲と対立したりしてサッカーの道を踏み外してしまうことも考えられました。

ですが、ここで指導者に恵まれたと彼は後に振り返ります。ジュニアユースの監督であった名取篤さんと、コーチの池田伸康さんに真正面から熱く指導されたのです。池田さんは「仲間とサッカーをやらないと、君はもっと輝けないよ」と言っては生活態度ばかり指導していたとのことでした。

これをきっかけに、原口選手自身も「このままじゃいけない」と自分から本気で思うようになったようです。実はプロになってからも何度かトラブルを起こすのですが、それでもこの中学時代の成長があったことで選手として潰れることなく続けることができたのでしょう。

そしてもう一人、彼に影響を与えた人がいました。
山田直輝選手です。

原口選手も認めた、もう一人の天才山田直輝

小学生時代には4年生から全国大会に出場していた原口選手でしたが、5年生のときになんと埼玉県予選で破れます。その対戦相手のFC浦和にいたのが、後に浦和レッズのアカデミー、そしてトップチームまで一緒に昇格することになる山田直輝選手でした。ふたりはお互いの実力を認め合うライバルとなり、原口選手は山田選手のあとを追って浦和レッズのジュニアユースに入ったのです。

中学時代の原口選手にとって、一学年上で輝いている山田選手は憧れでありライバルであり目標であり続けました。追いつき追い越すために必死に技術を磨いたそうです。サッカーの道から踏み外さなかったのは、この山田選手のおかげとも言えるかもしれません。

山田選手と共に、全国制覇を成し遂げてプロへ

中学時代から原口選手はひとつ年上の世代に加わり、山田選手と共にあらゆる主要大会のタイトルを総なめにします。

そして高校時代、高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権で優勝を飾りました。


このときの準決勝、決勝の試合動画があるのですが、準決勝では山田選手、原口選手の2得点で勝利、決勝では山田選手が3得点、原口選手も1得点の大活躍で優勝しています。

まさし
まさし

ゴールデンコンビは見てて楽しいね!

3:12~では、原口選手のクロスに合わせてゴールする山田選手!ホットライン成立です。

浦和ユースの黄金期と言われていますが、凄い世代だったんですね。

2人はそろって2008年に二種登録、2009年にトップチームに昇格を果たします。

原口選手がドイツに移籍する前の最後の試合、原口選手に変わって入ったのがなんと山田直輝選手。
運命的ですね。2人の抱擁がとても印象に残っています。

ふたりの信頼関係をうかがわせるエピソードがあります。
日本代表には山田選手の方が先に選ばれてデビュー戦でアシストという結果も出すのですが、その後度重なる怪我に悩まされ、なかなか活躍できませんでした。

ようやく復調してきたとき、一緒にフットサルで汗を流した原口選手がひとこと「いけそうだな」とボソッと漏らしたそうです。お世辞を言えない男である原口選手が認めてくれたことで、復活を期す自分に自信を持てたということ。

その後山田直輝湘南ベルマーレに移籍、2021シーズンも10番として活躍しています。

ふたりはいまでも、信頼関係で結ばれているんですね。

精神面の成長

原口選手の激しい気性による素行問題は、実はプロになっても治まっておらず、時々トラブルを起こしていました。
例えばこちらの動画は、公式戦で交代を告げられてブチ切れてしまうシーン。

監督やチームメートと揉めることは練習でも試合でもあったようです。

もめるのはよくあることだけど、もめた理由が大切ですね!

20歳の時(2011年)には、練習後のいざこざからチームメートを蹴って3週間の怪我を負わせてしまうという、いまであれば大炎上してしまいかねない事件も起こしていました。
当時は謹慎1週間の処分で済みましたが。。

それでも中学時代同様にクラブは彼を見捨てることなく、辛抱強く育てます。これによって原口選手は精神的にも成長、ドイツに移籍する際のセレモニーでは涙を浮かべながらクラブへの感謝を語っていました(4:23~)。

そしてドイツに行ってからは本当に大人になったようで、当時教育係であった槙野智章選手は、2016年のインスタで「人前でスピーチをし、結婚もし、人にありがとうも言えるようになり、エレベーターの開くボタンも押せるようになり、先輩のご飯にも「ご馳走様になりました」まで言えるようになった。本当に嬉しかった。」と発信していました。

挨拶もできなかったって(笑)。槙野智章選手、当時は大変だったろうな・・。

まさし
まさし

槙野智章選手が辛抱強く教育係をしたんだね!

原口選手のプレースタイル

プロになってからも原口選手のプレースタイルも変わり続けました。

才能があるがゆえ色々なポジションや役割を要求されますが、それを吸収してさまざまなポジションでプレーができるユーティリティな選手へと進化を続けるのです。

Jリーグ時代:サイドアタッカー

Jリーグ時代の原口選手は、ギラギラした攻撃的サイドアタッカー。トップスピードでもボールを扱う技術に長けていて、強気なドリブルでゴールを狙う選手でした。

こちらは原口選手のJリーグ時代のベストゴール10という動画なのですが、2:48からの倒れ込みながらそれでもがむしゃらにゴールしたシーンは、彼の技術と共に強気な性格が表れたように感じられて、とても印象に残っています。

運動量を磨いたヘルタ・ベルリン時代

荒削りの若きアタッカーはドイツに渡り、スタイルの変更を余儀なくされます。所属したヘルタ・ベルリンは一部下位のチーム。守備的なスタイルで、原口選手もまずは守備、走って守るというタスクを与えられます。

彼は考え方を変えてそれを受け入れます。「その先のストライカーとしての役割を諦めたわけではない」としながらも、先ずは「誰よりも走って守備に貢献する。その後に点を取ることを考える」と、走るスタミナを付ける努力をしたのです。

それが結実したプレーがこちら(0:06~)。あのロッペンに競り勝って、完全に抑え込みます(転ばせてる)!その後 0:15からはゴール前でボールを受けて、バイエルンのDFをドリブルで翻弄してアシストするシーンへと続きます。

守備と攻撃の両方に貢献する。このころからハードワークが原口選手の代名詞になりました。
運動量と技術を併せ持つ選手に進化したのです。

中央を任される、ハノーファーとウニオンベルリン時代

2018シーズンに移籍したハノーファーでは、これまでのサイドに加えてトップ下、ボランチなど中央のポジションを任されるようになりました。中央では周囲を敵に囲まれるため、視野の広さと技術と判断力、さらに攻撃と守備の両方に関わる運動量が求めまれます。

実は小学生時代の松本ヨウ祐監督は、彼は止めて蹴る技術とそれに伴った判断力が彼の最大の武器だと感じていて、ドリブラーよりもボランチが適正だと考えていたそうですが、ドイツ地でそれが実現したのですね。

こちらの動画の0:33から30秒ほどボランチでのプレーがいくつかあるのですが、強いプレッシャーの中にも技術を活かしてプレーできているのが分かります。

2021シーズンは1部リーグのウニオンベルリンに移籍しました。このチームではトップ下を任されることが多いようです。

こちらの動画(3:24~)では、GKのパスを受けに下がったあと即座に攻撃を開始、DF裏の味方にボールを通したうえで自分も駆け上がり、リターンを受けて相手ゴール側で仕掛けています。

まさに運動量と技術の高さ活かした、原口選手らしいプレーだと思います。

地元での原口選手の評価

 12月3日現在4位という好調なチームで全14試合に出場し、チームトップの4アシストを記録。
地元紙「ベルリナー・クーリアー」はそんな原口選手について、

開幕当初はチームの戦い方にフィットせず浪人のようだったが、その後はどんどん良くなって、今では”赤きサムライ”になった

と報じています(赤はチームカラー)。

ただし、得点が0であることについては「あとは1点が足りない」とチクリ。「もっとフィニッシュを狙う必要がある」と厳しい要求も付け加えていました。

それにしても、「欧米か!」というコメント(笑)。

日本代表で期待される役割

日本代表での原口選手はこれまで、サイドのポジションで上下運動を求められていました。ここ数年、ドイツのチームでは真ん中での起用が中心なので、役割も求められるフィジカルも異なるという難しさがあったのです。しかし、日本代表の森保一監督は2021年の最終予選の途中でチームのシステムを4-3-3に変更。中盤の3人が真ん中になるこのシステムは原口選手がやり慣れているポジションであり、原口選手にとっては追い風と言えますね。

ただし、いま代表の中盤3人は遠藤航選手、田中碧選手、守田英正選手の3人で固まりつつあり、原田選手であっても割って入るのは難しいでしょう。それでも、原田選手はこの3人と比べても走力、そしてゴール前での個人技術は勝っていると思っています。原田選手の運動量や個人技は、守備の強度を維持したまま一点が欲しいような場面で貴重になるのではないでしょうか。激しいポジション争いをしてほしいと思います。

個人的に期待しているのは、日本代表の武器であるスピードのある選手との絡み。

例えば中盤で相手選手を潰してボールを奪い、サイドの伊東純也選手スピードを活かすような前のスペースにパスを出します。すぐに自分自身も駆け上がり、ボールに追いついた伊東選手のリターンをペナルティエリア近辺で受けてドリブルで勝負!

この位置で前を向いた時には、他の3選手と比べても最も怖い選手。シンプルな攻撃でも得点チャンスを作ることができます。

守備のハードワークもそうですが、原口選手には得点に絡むプレーに期待します!

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