カタールワールドカップ最終予選のスタートダッシュに失敗した日本代表でしたが、なんとか予選突破が見えてきました。
しかし、いい面もあれば改善しなければいけない部分も明白になり、今後の森保監督の手腕に期待したいと思います。
目下の改善が急務なのは、左サイドの選手選考でしょう。
過去の日本代表といえば、左サイドからの崩しで得点を量産するのがお家芸でした。
現在の日本代表はどうでしょうか?
多くの得点を演出し、そして得点を挙げているのは右サイドです。
現日本代表のエースと言っても過言ではない、伊藤純也選手と酒井宏樹選手の崩しは、一昔前の左サイド以上の力があります。
以前の左サイドの破壊力を知っている私たちが、それを今の代表に求めるのも仕方がない面もあります。
以前の力のある左サイドを見たいなら、諸刃の剣になるかもしれませんが、彼を復帰されるしかないでしょう。
その選手とは、ポルトガル1部リーグのFCポルトから、ポルティモネンセSCへ期限付き移籍している中島翔哉選手です。
日本代表の10番を背負っていた中島翔哉選手が、代表に呼ばれなくなってかなり月日が経ちました。
もちろんケガもありましたが、それだけの理由ではありません。
しかし、日本の左サイドに輝きを戻したいのであれば、中島翔哉選手の存在は不可欠です。
「日本のドリブルお化け」中島翔哉選手について解説しましょう。
中島翔哉の経歴~サッカーに明け暮れた幼少時代
中島翔哉選手の出身小学校は、八王子市立別所小学校です。
(中島選手以外には、特に有名人はいませんでした)
東京都八王子市に生まれた中島選手は、母親にサッカーがやりたいと伝えると、近くにあった「松が谷FC」に連れて行ってくれたのがきっかけだったそうです。
学校から帰って、近くの公園でだいたい1人でドリブルしたりしていましたね。コンクリートの上で、裸足でボールを蹴ったり。
とにかくサッカーが好きで、学校の授業中もボールを足元に置いていたくらい。先生に怒られてボールを取り上げられるんですけれど、また取りに行って……今だったら絶対にやらないです(苦笑)。
松が谷FCとは別に、小2~4までは(東京)ヴェルディのスクールに週1くらいで通っていました。
最初に入った時に指導してくれたのは菊池新吉(現川崎フロンターレGKコーチ)さん。
小2の僕が泣きながらドリブルで向かっていったことがあったみたいです。後に、そんな子どもは今までいなかったと言われました(笑)。
無類のサッカー少年。中島翔哉の知られざる幼少時代の素顔 | フットボールチャンネル (footballchannel.jp)
ドリブルの練習って裏切らないんですよね。
練習すればするだけうまくなるのがわかるんですよ。
どんな時でも、ボールを触っておくとボールタッチの感覚が鋭くなると昔言われました。
さらに裸足だと、ボールを直接感じることができるので、より効果があったのかもしれませんね。
幼少時代から、遊び感覚でも常にボールを触っていたことで、今のドリブルの基礎ができてきたんだなと思わせるエピソードだと思います。
そして、どんなスポーツでもそうだと思いますが、負けず嫌いな面は本当に大事ですよね。
大人であっても負けるのは嫌だった、そしてサッカーをするのが楽しいというのは、今も変わっていないように感じます。
〇松が谷FC出身のサッカー選手
中島翔哉選手(ポルティモンセ)
小池龍太選手(横浜Fマリノス)
鳥海由佳選手(大宮アルディージャVENTUS)
本村武揚選手(ギラヴァンツ北九州)
中島翔哉の中学時代~母との約束を果たすため一心不乱にプロを目指す
中島選手は、八王子市立別所中学校の出身です。
こちらも中島選手以外は有名人はいないようでした。
しかし、小学校時代から東京ヴェルディジュニアに在籍していたので、そのままカテゴリーをあげて東京ヴェルディジュニアユースでサッカーを続けていました。
その中学時代に、3回もブラジルへサッカー留学をしています。
現在だと、サッカーと言えばヨーロッパのイメージが強いですが、留学先をブラジルにしているところが中島選手らしいなと思ってしまいました。
特にドリブルを向上させるのであれば、南米に留学するほうが得るものが大きいと思います。
ブラジル人のドリブルは、独特のリズムがあるので、それを覚えたかったのかもしれませんね。
また、とにかく早くプロになりたい一心だったのでしょう。
中島選手の家庭は母子家庭で、決して裕福とはいえない環境でしたが、中島選手のために必死で支えてくれた母親に、中島選手は常に感謝の気持ちをもっていました。
そんな母親に、中島選手は「いつか家を買ってあげる」という約束をしていたそうです。
時に我が儘だと言われるプレースタイルも、母親への恩返しのために突き進んだ結果だと思うと、心に感じるものがありますね。
高校3年で念願のプロ契約!
高校は、東京都立調布南高等学校に入学しますが、サッカーに専念するために通信制の時期は不明ですが、第一学院高校へ転校しています。
第一学院高校は、全国50ヶ所にキャンパスを持つ通信制の高校で、多くの有名サッカー選手もこの高校の出身ということで有名な高校です。
〇第一学院高校を卒業したサッカー選手
香川真司(シント=トロイデンVV)
柿谷曜一朗(名古屋グランパス)
酒井宏樹(浦和レッズ)
原口元気(FCウニオン・ベルリン)
中島選手は、東京ヴェルディジュニアユースからカテゴリーをあげ、東京ヴェルディユースに所属していました。
このヴェルディユースでは、現在俳優として活躍されている、竹内涼真さんが一つ上の学年でチームメイトだったそうです。
ユース年代では、東京都選抜のメンバーとして国体に優勝、日本クラブユース選手権連覇に貢献など、着実に実績を積み重ね、高校3年の時に念願のプロ契約を果たすのでした。
中島翔哉の年俸推移と市場価値推移
年度 | 年齢 | チーム | 年俸 |
2012年 | 18歳 | 東京ヴェルディ | 380万 |
2013年 | 19歳 | 東京ヴェルディ | 800万 |
2014年 | 20歳 | FC東京⇒カターレ富山 | 1000万 |
2015年 | 21歳 | FC東京 | 1800万 |
2016年 | 22歳 | FC東京 | 2000万 |
2017年 | 23歳 | ポルティモネンセ | 3500万 |
2018年 | 24歳 | ポルティモネンセ | 5000万 |
2019年 | 25歳 | アル・ドゥハイル・FCポルト | 1億8000万 |
2020年 | 26歳 | FCポルト | 3億5000万 |
2021年 | 27歳 | FCポルト⇒ポルティモネンセ | 不明 |
年度 | 年齢 | チーム | 市場価格推移 |
2012年 | 18歳 | 東京ヴェルディ | 2000万 |
2015年 | 21歳 | FC東京 | 3200万 |
2016年 | 22歳 | FC東京 | 4500万 |
2017年 | 23歳 | ポルティモネンセ | 1億 |
2018年 | 24歳 | ポルティモネンセ | 19億4000万 |
2019年 | 25歳 | アル・ドゥハイル・FCポルト | 32億3000万 |
2020年 | 26歳 | FCポルト | 20億7000万 |
2021年 | 27歳 | FCポルト⇒ポルティモネンセ | 4億5000万 |
中島翔哉選手はどんな選手?
森保ジャパン発足当初のサッカーは、中島翔哉選手、南野拓実選手、堂安律選手が2列目に並び、この「森保ジャパン三銃士」が攻撃する姿に、胸をワクワクさせていました。
中島選手の一番の武器と言えば、やはりドリブルでしょう。
身長167cmと小柄ですが、その分高い俊敏性で相手ディフェンスを翻弄していきます。
アウトサイドをうまく使っての切り返しや、相手の逆をとる動きを得意としています。
ミドルシュートも得意で、日本でも少ない「一人で決め切る力がある選手」であることに間違いはありません。
そして、サッカーを楽しんでいると思わせるプレーが随所に見られます。
代表戦でリフティングしながらドリブルしてましたしね。
あんなのやるの、キャプテン翼の「大空翼くん」以外見たことないですもん。
まあ、あれを試合中にやられたら、そりゃ相手選手は怒るよなって思っちゃいました。
他にも、コーナーキックの間にもリフティングしてるし、やりたい放題です。
しかし、日本にいるときの中島選手のプレーは、かなり窮屈そうな印象がありました。
どうしても日本のサッカーは、組織的なチーム作りをするので、中島選手の特性は日本のチームにあわないようでした。
そんな彼が、2017年8月23日に海外移籍したポルトガル1部リーグのポルティモネンセSCでは、水を得た魚のようにプレーしている姿を今でも忘れられません。
そのプレーを見て、これからのステップアップが楽しみだとこの時は思っていました。
中島翔哉選手VS三苫薫選手!左サイドの先発なら?
2021年2月に、中島選手は練習中に足首の脛骨骨折および靭帯断裂の大怪我を負ってしまい、以後代表に招集されていない状態です。
中島選手の離脱に伴い、徐々に日本代表の活躍に限りが見え始めてきました。
そして、現在の左サイドはシステム変更もあり、南野選手がスタメンを飾っていますが、以前のような活躍ができていない状態が続いています。
そこで今回は、今後の日本代表の左サイドを任せるなら誰がいいか考えてみたいと思います。
今回は、中島翔哉選手と成長著しい三苫薫選手ならどちらになるかを考えてみましょう。
現システムの4-3-3で考えてみると、「三苫薫選手」が適任になるでしょう。
どちらも素晴らしいドリブラーですが、ここに中島選手がケガ以外で代表から遠ざかっている理由があると思います。
それは、感覚的なプレーが出すぎてしまってチームバランスを崩してしまうことです。
特に守備のチーム戦術の理解度が低いと言ったほうがいいかもしれません。
攻撃に転じているときには、ものすごい力を発揮しているのでわかりにくいですが、いざチームでの戦いでは、足を引っ張ることもあるのです。
FCポルトのセルジオ・コンセイソン監督は、中島選手のプレーをみて、大激怒したことがあります。
日本でもそうでしたが、チームプレーを重んじる監督の場合は特に、中島選手のようなスタイルは使いにくいと言えます。
日本代表も個人の能力が上がっているとはいえ、やはり組織での戦いを中心に考えています。
その面を考えると、三苫選手は「理詰めと感覚」を両方とも兼ね備えていて、チーム戦術を苦にしないので、現段階では三苫選手のほうが左サイドには適任だと思います。
しかし、中島選手は間違いなく違いを生み出すことができる選手です。
使い方と監督の方針で良くも悪くもなるということだと思います。
現日本代表で中島翔哉をどう使う?
先ほども書かせてもらいましたが、中島選手は監督の方針で大きく変わってきます。
中島選手を起用するなら、森保監督が「中島翔哉選手中心のチーム作り」をするという方法があります。
これは、現所属のポルティモネンセSCで成功しているので、どうしてもの場合は、やってみる価値はあると思いますが、チームバランスを考えるとスタメンでは難しいですよね。
右サイドも問題なくフィットしていますし、この段階でわざわざ最初からチーム作りをするのはリスクしかありません。
しかし、スタメンではなく、「ジョーカー起用」なら非常にいい戦術になると思います。
後半の一番キツイ時間帯に、あんなドリブルお化けにサイドから突っつかれたら、相手はシャレにならないと思いませんか?
日本のジョーカーの位置づけは、スピードの選手である「浅野琢磨選手」と「前田大然選手」が担っていますが、フィニッシュにどちらも難があります。
中島選手は、フィニッシュはもちろんチャンスメイクもできるので、違うタイプの「ジョーカー」を持っておくのもプラスに働くと思うのです。
ポジションも、左サイドだけでなく、トップ下・右サイド・セカンドトップもこなせるのも魅力だと思います。
メッシもバルセロナに居た時、守備免除でメッシを中心にチームが連動していました。
PSVに行った途端に活躍できなくなったのは、メッシにチームが合わせる形の戦術ではないからです。
中島もこれに似てる気がしますが、中島選手は、必ず日本の勝利に貢献してくれると思いますので、森保監督に早く代表復帰させるように皆さんで要望していきましょう。

