田中碧のWiki経歴・プロフィール~小学校・中学校・高校はどうだったのか?

サッカー

2022年ワールドカップカタール大会、ドイツ戦、コスタリカ戦に出場!

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2021年10月、ワールドカップ・アジア予選のオーストラリア戦で初スタメン出場&初ゴールを決めた田中碧選手!

田中碧選手は川崎フロンターレの下部組織出身で、ルーキー時代からベストヤングプレーヤー賞受賞やベストイレブン選出などの大活躍を見せていました。

今後も活躍間違いなしの田中碧は幼少期~現在までどのように育ってきたのか?田中選手の経歴について詳しく見ていきます。

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田中碧のWiki風プロフィール

田中碧の経歴

名前:田中碧(たなかあお)

生年月日:1998年9月10日年齢:23歳

出身地:神奈川県川崎市

身長:180cm

体重:74kg

小学校:川崎市立鷺沼小学校

中学校:川崎市立有馬中学校

高校: 神奈川県立新城高校

現所属チーム: フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ2部)

ポジション:MF

背番号:4

利き足:右

田中碧の幼少期

田中碧選手がサッカーを始めたのは幼稚園の時です。

当時田中選手は、地元の鷺沼ではなく横浜の幼稚園まで通っていたのですが、その幼稚園はスポーツが盛んでした。

田中選手も、サッカーや体操などをしていました。

そんな中でも、田中選手が夢中になったのはサッカーでした。

公園の中で1人、壁に向かってボールを蹴っていたのが田中選手の、人生最初の記憶だそうです。

田中碧の小学生時代

田中選手は地元の川崎市立鷺沼小学校に入学し、同時に鷺沼SCに入団しました。

鷺沼SCは地元では強豪チームでした。

そんな中でも、田中選手はFWとして自分でゴール前までドリブルをし、ゴールを量産するといった活躍ぶりを見せていました。

強豪鷺沼SCでも田中選手がずば抜けて上手かったのは、同時期に週2回ヴェルディ東京のスクール似通っていたからです。

そこでは、元なでしこジャパンでワールドカップ優勝メンバーの澤穂希さんや大野忍さんがコーチを務めていました。

恵まれたコーチ陣のもと、田中選手はゲーム形式を重ね、経験を積んでいきました。

その後、ヴェルディジュニアには入団せず、小学校3年生の時に川崎フロンターレの下部組織に入団しました。

川崎フロンターレの下部組織には、今まで見たことがないくらい優れた選手がたくさんいました。

自分よりもサッカーが上手な選手をたくさん目の当たりにした田中選手は、「負けたくない。」という思いで練習に励んだのです。

田中選手はその時から毎日居残り練習をしていたようですが、川崎フロンターレでプロデビューを果たした後も居残り練習をして、クラブハウスを出るのはいつも最後でした。

周りの選手が自分より優れていると素直に認める姿勢、そしてそれに負けないように誰よりも練習を重ねる努力が、今の田中選手を形成しているのですね。

小学校5年生までの間、何度か退団を考えたそうですが、その度にフロンターレのコーチが引き留めました。

結局フロンターレの下部組織で、田中選手の代はU-12で世界大会まで出場しました。

世界大会ではフランスに0対2で負け、5位という悔しい結果に終わったものの、田中選手の自信にもつながりました。

田中碧の中学生時代

中学生になった田中選手は地元の川崎市立有馬中学校に入学しました。

サッカーに関しては、小学校から引き続きフロンターレに所属。

この時期、友達と遊ぶことが楽しく、サッカーに対する熱が若干冷めたそうです。

しかし、サッカーを辞めようとまでは思わなかった田中選手。

友達と遊ぶ回数は増えたものの、練習を休むことは一度もありませんでした。

サッカーに対する気持ちが少し薄れていた中学3年生の終わり頃、フロンターレU-18の練習に参加したことが田中選手の転機となりました。

中学3年生の12月からフロンターレU-18チームに昇格する選手はU-18チームの練習に合流します。

今まで同級生としか対戦をしてこなかった田中選手は、上級生とのレベルの違いに圧倒されました。

2つ上の学年には現在の日本代表MF三好康児選手がいました。

三好選手のプレーを目の前で見た田中選手は、「衝撃的に上手かった。」とレベルの差を痛感したそうです。

他にも、現日本代表板倉滉三笘薫といった上級生も所属していました。

ここでもまた、「悔しい」と思ったその日から、練習後帰宅してすぐ公園に行き、ボールをひたすら蹴り続けたといいます。

また、受験勉強をしなければと思いながらも、休みの日には公園に行き、個人練習を積んでいきました。

田中碧の高校生時代

高校生になった田中選手は、神奈川県立新城高校に入学しました。

サッカーでは、川崎フロンターレU-18への正式な昇格が決まり、プロへの道が少しずつ切り開かれていきました。

田中選手は、1年生ながら唯一ベンチメンバーに名を連ね、数ヶ月でスタメンにまで抜擢されました。

当時はかなり緊張しながらプレーをしていたそうです。

ボランチだった田中選手はとにかく前線の選手にボールを回すことで精一杯だったとか。

ただ、そんな日々が田中選手の刺激になり、急激な成長につながりました。

その後、U-16日本代表に選出されてタイ遠征に参加したり、国体の神奈川県選抜として選ばれ優勝したりと徐々に大きな舞台での活躍を増やしていきます。

そんな田中選手は、なんと高校1年生の秋からトップチームの練習に混じるようになりました。

当時U-18の監督だった今野元監督は、高校1年生と3年生ではフィジカルの違いがあるが、田中選手は身長が高く技術も優れていたために上級生と混じらせて試合に出していたと言います。

3年生になって川崎フロンターレU-18のキャプテンを務め、後にトップチームへの入団が決まりました。

田中選手の性格

小学生時代からプロになるまでほぼ毎日自主練に励むという努力を続けてきた田中選手。

その性格を表すとしたら「真面目」でしょう。

U-18コーチングスタッフの助っ人として田中選手を見てきた、フロンターレトップチームの現コーチ吉田勇樹さんもその真面目さを語っています。

吉田コーチは高校時代の田中選手について、

特別足が速かったり、フィジカルが強かったりするわけではなかったが、ボールを奪う力があった。また、毎日練習に早く来て筋トレや練習準備をするような真面目な選手だった。

と述べています。

毎日コツコツ筋トレを続けていた田中選手は、徐々にフィジカルアップを果たし、新たな強みを作りました。

サッカーの技術そのものももちろんですが、絶えず努力を続けることができるというのも田中選手の才能と言えますね。

まとめ

今回は、田中選手のプロ入団までのサッカー人生をまとめてみました。

昔から誰よりも早く練習に来て、誰よりも遅くまでグラウンドに残るといった真面目さを持ち合わせる田中選手。

プロになってからもその姿勢は変わっていません。

今後も森保ジャパンのボランチとしてゲームをコントロールし、チームに大きな貢献をすること間違いなしですね。

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